野球ファンに愛された背番号25!新井さん本当にありがとう!

 今日という日がついに訪れてしまいました。
 いつかは来るだろうと覚悟していた現実。
だけど、いますぐじゃないことを願い続けてきた現実。

 全力プレーで「広島を燃やし」、ファンに愛され、ファンを愛した
カープの背番号25 新井貴浩

 

本日引退を表明しました。

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 彼は、野球少年だった僕にとって大好きなプレイヤーの1人でした。
当時の僕にとって、新井貴浩は決してカッコいい存在ではなかった。
チャンスには弱い、足も遅い、ゲッツーは多い、三振も多い、守備は下手。
クールでクレバーな選手からは程遠い存在でした。
人気のない市民球場時代、暗黒時代の象徴のようにも思えた彼に、なんども心無い野次を飛ばしました。

 でも、どれだけ野次を飛ばそうが、僕はそんな彼が大好きでした。
入団時はドラフト6位。それもコネ入団。誰よりも泥だらけで練習しているのに、三振やエラーの山。
 それでも、一番下手くそな男がプロ野球界というエリート集団の中で輝くためにさらなる猛練習を積み、一つ一つ全力なプレースタイル。そんな姿を知っているからこそ、新井が放つ空を撃ち抜くような逆転の大アーチに広島ファンは夢を見ました。

 当時、逆指名の影響も受け、才能のある期待の若手がほとんど取れず、雑草集団と呼ばれ万年Bクラスに低迷し続けたチーム状況でした。それでもどこにも負けない練習量で、資金力の勝る球団に挑み続けたチームスタイル。
 広島ファンカープの未来を新井貴浩という1人の若き主砲に重ね合わせ、いつかくる輝かしい未来を夢見続けました。新井貴浩が4番としてチームを優勝に導いてくれることを期待し続けていました。

 

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 2007年11月8日
 新井の未来にカープの未来を託していたからこそ、新井貴浩の「優勝できる球団に行きたい」ことを理由としたFA宣言にファンは怒りました。悲しみました。憎しみました。
新井貴浩という男を通じて、練習、努力で資金力の勝る球団に打ち勝つカープの未来を
夢見ていたからこそ、お金に屈したと怒りました。
それはカープの夢を託していた男に、カープの夢を否定された瞬間でした。

 それからの8年間。カープファンは心の底から新井貴浩を憎み続けていたと思います。それまで新井貴浩が飛躍することがカープファンの希望であったように、8年間新井貴浩が移籍を後悔する日を迎えることこそがカープファンの夢になっていきました。

 

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 2014年11月14日

 新井復帰の第一報。
この速報をカープファンはいろんな感情で受け止めたと思います。
僕自身、正直なところ「いまさらどのツラ下げて帰って来る気だ。ふざけんな」そう思っていました。カープファンの夢を否定した男が、その夢にようやくたどり着きそうないま図々しく帰って来ることが許せませんでした。

 おそらく新井も複雑なファンの気持ちを痛いほど理解していたことでしょう。
日々、テレビに映る全力な新井の姿。すでに37歳。本来なら自由に調整できるほどの実績を残してきたベテランが若手に混じって泥だらけで練習する姿。
長年プロ野球を全力で走ってきた新井の体がボロボロなのは誰もが分かっていました。それでも、8年前の出来事をファンに心から詫びるように、復帰を許してくれた球団に心から感謝するように練習をする日々を目の当たりにしました。
「もういいよ。分かったよ。頑張れ!」

 2015年開幕戦
 復帰後初打席を迎えた新井に待っていたのは、7年前のような閑散としたスタンドから聞こえる大ブーイングではなく、超満員のスタンドから送られる大歓声でした。
僕だけでなく、ほとんどのカープファンに複雑な感情はなくなっていました。
7年前と同じように、新井貴浩という男の泥だらけの全力プレーに新たな夢を託しました。
 

 2016年9月10日
 10年前、自身を失っていたカープファンに新井が見せてくれた夢。
 7年前、その新井に無残にも打ち砕かれたその夢。
 1年前、新井がその夢にもう1度一緒に向かうこと誓い、カープファンは夢を託した。
 そして、この日その夢がついに実現した。
 

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 僕は、新井貴浩が大好きです。
 決してカッコ良くはない新井貴浩が大好きです。
 決して賢くない新井貴浩が大好きです。
 不器用で泥臭い新井貴浩が大好きです。
 努力の偉大さを教えてくれた新井貴浩が大好きです。

 20年間本当にありがとう。
 そしてお疲れさまでした。

 まだ実現していないもうひとつの夢、「日本一」を一緒に叶えましょう。